「対話から学ぶ力」を育む漢文の授業をデザインする(2)

「対話から学ぶ力」を育む漢文の授業をデザインする(2)

※今回は、前回のコラム「『対話から学ぶ力』を育む漢文の授業をデザインする(1)」の続編です。
コラムタイトルをクリックすると、前回のコラムをご確認いただけます。

 

 前回予告しましたように、広島県立呉三津田高校での実際の授業を例に、ジグソー法による授業デザインをご紹介します。

知識構成型ジグソー法に枠組みを借りた授業デザイン

 まず、呉三津田高等学校での授業の手順と、知識構成型ジグソー法のステップが、前回のコラムでもご紹介した下図において、どのように位置づけられるかについて説明しましょう。

図 対話が成立するまでのプロセス

 

STEP.0 問いを設定する(図:分岐1)

 まず、単元での課題(問い)「我が子を犠牲にして甥を救うことは義か」を設定します。(図では、設定する分岐1にあたる)
 次に、この問いを解くヒントになる漢文資料を4点用意しました。その選定理由と資料の詳細は、このブログの最後をご参照ください。

資料1 劉向『列女伝』巻五せつ伝 「
資料2 劉向『列女伝』巻一伝 「すうもう母」
資料3 『孝経』広揚名章第十四
資料4 『論語』学而第一 第二章

STEP.1 自分のわかっていることを意識化する

 問いを解くために、学習者に、資料1~4の中で読んでみたい資料を一つ選ばせ、そのテクストを、既存の知識を使って考えたり独自に調査を行ったりして、自分なりの答えを準備して授業に臨むように指示しました。

STEP.2 エキスパート活動で、選んだ資料についての理解を深める(図:分岐2)

 ここからは、授業中の活動です。
 同じ資料を読んだ学習者同士で小グループ(4~5人)を作り、その資料に書かれた内容や意味を話し合い、理解を深めるエキスパート活動を行います。
 学習者は、自分のグループだけではなく、他のグループの読解からも学ぶワールドカフェ方式で、さらにブラッシュアップしていきます。
 これは、図の分岐2にあたり、学習者が文献に基づいて、他の資料を読んだ学習者とは異なる自分の意見を構築するためのステップになります。

STEP.3 ジグソー活動で交換・統合する(図:分岐3・4)

 異なる資料を読んだ学習者が一人ずついる新しいグループ(4人)に組み替え、エキスパート活動でわかってきた内容を説明し合うのがジグソー活動です。
 ジグソー活動のグループでは、4つの資料のそれぞれについて知っているのは一人しかいないので、自分の言葉で自分の考えが伝わるように説明しなければなりません。

 この活動で、学習者に期待したいことについて、三宅なほみ氏は「自分の担当したエキスパートの部品を正確に伝えることではなく、それぞれの異なる視点を出し合いながら、課題について答えを作り上げたり、見直したり、また違う表現を試してみたり繰り返してくれることである。こうした繰り返しが、個々人の理解の深化のチャンスとなるからである」(1)と述べています。
 つまり、学習者一人ひとりが、他の資料についての説明を聞き、自分が担当した資料、あるいは自分の説明との関連を考える中で、その差異に気づき、自分の理解状況を内省し、新たな問いへと繋がることが重要なのです。

STEP.4 クロストークで発表し、表現を見つける(図:分岐3)

 グループごとに、問いに対する答えとその根拠を合わせて、全体で発表し、交流するのがクロストークです。
 各グループから出てくる答えは同じであったとしても、根拠の説明は少しずつ違います。互いの答えと根拠を検討し、その違いを通して、一人ひとりが自分なりのまとめ方を吟味するチャンスが得られ、納得する過程が生まれるのです。

 従って、クロストークから新たな問いが生まれ、それはSTEP.5の考察に引き継がれます。
 STEP.4を図の分岐3に再び当てていることからもわかるように、図のプロセスは、時系列に支配されているものではなく、ほぼ同時に起こるものであると御理解ください。

STEP.5 一人に戻って小論文を書く(パフォーマンス課題)

 はじめに立てられた問い「我が子を犠牲にして甥を救うことは義か」について、再び一人で考え、小論文を書かせ、評価を行いました。

 

ジグソー活動(4つの資料の統合)

 問い「我が子を犠牲にして甥を救うことは義か」に対し、4つの資料を結び合わせ、根拠を提示しながら答えを見出していくのがジグソー活動です。
 それぞれの資料のエキスパートは、必ず、自分の担当した資料を根拠に問いへの答えを提案し、他の資料のエキスパート達と対話するのです。

 このジグソー活動で、一つのグループが次第に答えを見出すまでの対話を、書き起こしてみました。対話の実態を理解していただくべく、発言をできるだけ忠実に再現したため、読みにくいことについてはご容赦ください。

 次に記す対話が始まる前に、生徒たちは、古代中国(このたびの資料で言えば、漢代から唐)においては、「血を分けた一族」が社会生活の最小単位であるということを、皆理解していました。
 現在のように核家族をコアとした社会モデルとは異なっていることを認識した上で、「自分たちに『家を継ぐ』という意識はほぼない。むしろ、生まれ育った家を出なければ自立したことにはならないと考えている」など、語り合う中で、資料2を巡って次のような興味深い対話が展開しました。

生徒(資料1エキスパート):なぜ、「我が子を犠牲にして甥を救うことは義か」という問いを解くために、孟母の話(資料2)が必要なのかわからない。

生徒(資料2エキスパート):孟母は、学問を捨てたら、「使用人」になるしかないと2回も言っているし、その度に孟子はおそれている。自分が使用人になれば、一族が自立して存在できなくなってしまうのだから、一族にとって一大事だ。一族をまず確実に存続するために、排行があり、継ぐ順番をはっきりさせて、その順で大事にする。だから、排行の順位が高い杜甫が生かされた。そして、男は学問、女は衣食とか日常的なことをきちんとやるという役割分担をやって、一族繁栄させないといけない。

生徒(資料1エキスパート):孟母も、一族の存続をかけて、孟子に学を勧めた。資料2で、当時の「母」は、我が子の幸せより一族を優先させなければならないことを補強したということか。

教 員:刑罰でも漢代まで「族刑」「連座」という刑罰があって、「謀反大逆」は一族皆誅殺されていた。むろん、統治者が犯罪を阻止し、犯罪者を摘発する手段だったのだけど、それが功を奏していたようだから、現代の家意識とは異なるのは確かだ。ただ、これは、威嚇による犯罪阻止で、儒教的に言えば正しくないから、漢の文帝の時改定されたとあるのだけれど、その後も、例えば親の罪に子も一緒に処罰を下される例はたくさんあるようで、はっきりしない。

生徒(資料1エキスパート):「長幼の序」「男女の別」なんて、時代遅れだ。

生徒(資料2エキスパート):孟母は、強い。孟子は「懼」れてばかりいる。男尊女卑は本当かと疑う。

生徒(資料4エキスパート):『論語』は「其の人と為りや孝弟にして、上を犯すを好む者は、鮮し。」とあって、親に対して「孝」な人は上に逆らわないから、孟子もやがて名儒になるくらいだから、当然「孝」で、孟母には逆らわないのだと思う。

生徒(資料2エキスパート):それに、孟母の言っていることは、間違いなく正しい。だから、逆らえない。資料2グループでは、こんな母親に育てられたらどんな大人になるかという議論もしたけれど、自立できないだろうということになった。

教 員:その自立は、現代の感覚での自立のことか。

生徒(資料2エキスパート):そうだ。

教 員:ユング心理学に「飲み込む太母」という母親観がある。母は子どもを抱きしめる力が強すぎて、子どもの自立を妨げ、結局、子どもを精神的な死に追いやる。それに抵抗して、自分の価値觀を形成するのが自立だと考えられている。

生徒(資料2エキスパート):だから、孟子も今の意味で自立できないということになった。現代で「お母さんがこわい」というのとレベルが違う。

生徒(資料4エキスパート):『論語』でも、「その人と為りが孝弟である者は、上を犯すを好まず」と言っているのだから、「孝」は子どもの道徳的態度で、母の教えは絶対なのだ。ただ、エキスパート活動で「乱を犯す者はいない」の解釈は「私利私欲に走らず、秩序を守ろうとすること」と言い換えた。「孝」「弟」は、親の慈愛に応えたり、兄を敬う気持ちを持っていることだから、そんな気持ちを持っている人は、自分の一時的な感情や私利私欲で我を通さない。素直に母の教えを聞いたと思う。

生徒(資料4エキスパート):正しいことをすり込まれて、逆らわないのが秩序を守ることになって、「排行」を実行したのが杜甫の叔母や魯義姑で、彼女たちは正しい。

生徒(資料3エキスパート):親に対する「孝」は、君主に向かえば「忠」。エキスパート活動で、これは、どちらも「公」だとわかった。「公」の反対が「私」。「私」には、自分勝手の意味があって、「私愛」は、自分さえよければ良いという偏った愛情。孝は忠に拡充されるという定義は、親に尽くすように従順に君主にも仕えなさいということになる。為政者にとって都合の良い考え方のような気もする。

生徒(資料1エキスパート):要するに、嫡流を重んじることが秩序を守ること、一族を絶やさないことは重大なことだから、自分の子どもの方を助けたいのは「私愛」になる。その秩序を守り、秩序に従う精神は、孟母のような母がすり込んでいく。

生徒(資料3エキスパート):孝と忠、弟と順というような価値觀は、家庭生活の中で守り、継承され続けたのだろう。

生徒(資料1エキスパート):杜甫の叔母のように、場合によっては、母が自ら社会秩序を崩壊させないために我が子を捨てて「私愛を割つ」の見本を見せるのだ。だから、中国古代なら「我が子を犠牲にして甥を救うことは義か」と言われれば、義だ。理屈としては、わかったけど……。

教 員:「わかったけど」に続く批判は、次のクロストークで、皆に投げかけるとよい。

 このように、エキスパート活動、ジグソー活動と、対話を中心に授業を進めていきました。
 短期コラム連載の最終回となる次回は、クロストークで見出された新たな問いと、パフォーマンス課題の評価、及びこの授業での教員の役割について論じたいと思います。

 


 

資料1~4について

(1) 選定理由

 「我が子を犠牲に甥を救うことは義か」という問いに答えるためのヒントになる資料として、まず、センター試験の注にも一部引用されており、清のきゅうちょうごう撰『杜詩詳註』巻二十五所収「唐故萬年縣君京兆杜氏墓誌」でも典拠とされていた『列女伝』巻五節義伝「魯義姑姊」(資料1)を取り上げました。

 杜甫が、叔母の功績を、「魯義姑姊」を引用して賞賛しているのですから、劉向の描いた女性像、及び生き方は、杜甫の価値観に強い影響を与えていたと考えられます。
 我が子を犠牲に甥を救う叔母が、儒教社会の枠組みにあっては、母としても理想であることは、『列女伝』巻一母儀伝を読まないと解明できないでしょう。
 そこで、高校の教科書でも散見する母儀伝「鄒孟軻母」より「孟母断機」の部分を選んで資料2としました。

 儒教社会を支えるのは「孝」であり、母性における慈愛と拘束の力を基本として、これを質的に社会構築の理念に転換することで、その安定性を確立し得たとする下見隆雄氏の指摘(2)から、『孝経』「広揚名章第十四」(資料3)を選びました。

 『論語』学而篇第二章(資料4)は、資料3を補強し、「孝弟=上を犯すを好まず=乱を作すことなし」は、単なる従順ではなく、その真意と目指す所を検討させるためのテクストです。
 資料3・4は、答えのヒントとしてはかなり遠回りを強いることになりましたが、注釈や口語訳を資料1・2に比べて多く提供し、理解を進められるように工夫しました。

 また、全ての資料でキーワードになる「公」「私」については、漢和辞典だけでは十分でなかったので、溝口雄三氏の「公は平分なり」「私は姦邪なり」(3)をもって、全員に説明しました。

(2) 資料14とエキスパート活動での学習者の理解

 資料にはすべて訓点を施し、一部口語訳や注釈も付けて提供しました。紙幅の都合上、ここでは本文のみ書き下し文で紹介します。
 また、エキスパート活動で、学習者が資料1~4をどの程度理解していたかについて、「エキスパート活動での学習者の理解」として報告します。

【資料1】 劉向『列女伝』巻五節義伝「魯義姑姊」より
 学習者には、リード文「魯に侵攻したせいの将軍が、魯義姑を留めて、手を引いていた男の子(兄の子)を抱きかかえ、それまで抱いていた男の子(実の子)を棄てた理由を聞いた場面である」を付けて、以下の文章を示しました。

婦人曰はく「己の子は、私愛なり。兄の子は、公義なり。夫れ公義に背きて私愛にむかひ、兄子を亡くし、妾が子を存すれば、幸にしていきるを得れども、則ち、魯君は吾を畜はず、大夫は吾を養てず、庶民國人は吾を与せざるなり。夫れ是くのごとければ、則ち、脅肩容るる所無く、累足履く所無きなり。子はいとおしと雖も、独り義のみ謂何いかんせん。故に忍びて子を棄て義を行ふ。義無くして、魯国を視る能はず。」是において、斉将は兵を按じて止め、人をして斉君に言はしめて曰はく「魯は未だ伐つべからざるなり。乃ち境に至るに、山沢の婦人のみなれど、猶ほ節を持ちて義を行ふを知る。私を以て公を害せず。況んや、朝臣士大夫においてをや。請ふ、還らん」と。斉君之を許す。

●エキスパート活動での学習者の理解
 「兄の子は、公義なり」とあるが、「弟の子は公義なり」の例が『列女伝』にはありません。
 学習者は、魯義姑の行為は、我が子を優先する罪悪感が動機ではなく、常に兄の子が優先されるルールに従ったものではないかと気づきました。
 指導者から「排行」について調べるよう示唆された生徒は、その意味を調べ、現在の「家族」と「宗族」の違い、及び、魯義姑の行為が斉の将軍をも「私を以て公を害せず」と感動させ、魯への侵攻を食い止めたことから、女性に求められた「公」的な生き方について考察し、「私」も現代とは全く異なる意味を持つことを理解していきました。

【資料2】 劉向『列女伝』巻一母儀伝「鄒孟軻母」より
 学習者には、孟母が孟子に望んだこと、孟子と母の関係性を読み解き、延いては、一般論としての家庭教育について考察する資料であることを記して提供しました。

孟子のわかきとき、既に学びて帰る。孟母はまさに織る。問ひて曰はく、「学、何の至る所ぞ」と。孟子曰はく、「じゃくなり」と。孟母、刀を以て其の織を断つ。孟子、懼れて其の故を問ふ、孟母曰はく、「子の学を廃するは、吾の斯の織を断つがごときなり。夫れ、君子は学びて以て名を立て、問はば則ち知を広む。是を以て、居れば則ち安寧にして、動けば則ち害を遠ざく。今にして之を廃するは、是れえきを免れずして、以て禍患を離るる無きなり。何を以て織績して食するに、中道にして廃して為さざるに異ならんや。寧くんぞ能く其の夫・子に衣せて、長く糧食を乏しからざらしめんや。女則ち其の食する所を廃し、男則ち徳を修むることおこたらば、窃盜を為さずんば、則ち虜役と為らん」と。孟子、懼れ、旦夕学に勤めてまず。に師事し、遂に天下の名儒と成る。

●エキスパート活動での学習者の理解
 孟子は、母を懼れています。母は、孟子が学問に精を出すことを期待しています。
 学問は男の道で、修めれば万事うまくいきますが、中途で投げ出すと盗人になるか、誰かの使用人になるしかありません。
 母が、孟子が使用人になることを許さず、孟子もそうなってはならないと懼れているのは何故か。我が子より甥を重んじたこととどのようにつながるのか、と考察を深めていきました。

 なお、学習者は「この説話は、母を懼れ、敬い、従うことで名儒になった男のサクセスストーリーだが、これを読む人にどんな影響があったのだろうか」という新たな問いも見出していました。

【資料3】 『孝経』廣揚名章第十四
 紙幅の都合で省略しますが、学習者には、当該箇所の伝(前漢孔安国)、御注(唐玄宗皇帝)の書き下し文、口語訳も記して提供しました。
 その上で、「孝」「忠」、「悌」「順」、「理」「治」の関係性を整理するように求めました。その意図は次の通りです。

 孝・悌・理の対象は、それぞれ親・兄・家であり、忠・順・治のそれは、君・長・官です。
 現代の語彙解釈で、後者を「公」(パブリック)、前者を「私」(プライベート)と捉え、前者を後者に「移す」=拡充すると理解したならば、「私を拡充して公に至る」となり、杜甫の叔母が賞賛された「以割愛」も、資料1の「以私不害公」も理解できなくなってしまうことに気づかせたかったからです。
 また、儒教を国家構築の理念として重視した中国歴代の王朝は、基本的には、「孝」を「忠」に変換する論理を整え、天下に喧伝することを心がけてきたという文化的な背景から、杜甫の叔母、及び魯義姑の「公」を巨視的に捉えさせたいとの意図もありました。

子曰はく「君子の親につかふるや孝、故に忠をば君に移すべし。兄に事ふるに悌、故に順をば長に移すべし。家に居ておさまる、故に治をば官に移すべし。是を以て、行なひは内に成りて、名は後世に立つ」と。

●エキスパート活動での学習者の理解
 「公」「私」が、現代の意味とは違うことは確認できました。
 「是以行成於內、而名立於後世矣」(傍線部)を、「内(親に対する孝、兄に対する悌、家が治まっていること)ができているならば『公』であり、内の『公』は社会全体に拡充する。だから、内の『公』ができている場合、その名は後世まで残る。」と解釈しました。
 だから、名の残る杜甫の叔母、魯義姑の行為は、「公」すなわち、宗族の継承を絶やさぬため、排行を遵守した、つまりこの行為は、継承順位の高い者を優先することで、家の秩序を揺るぎなくさせ、社会を安定させる意味合いを持っていたのだと理解しました。

【資料4】 『論語』学而第一 第二章
 資料3を補足し、「孝」を社会的な道徳理念に結びつける考え方の例として、『論語』学而篇から採ったのが資料4です。
 これも、紙幅の都合で省略しますが、学習者には旧注に従った吉川幸次郎氏の解釈を提供し、儒教における一つの理想的人間像を見出すように指示しました。

有子曰はく、「其の人と為りや、孝弟にして、上を犯すを好む者は、すくなし。上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は、未だ之れ有らざるなり。君子は、本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁の本たるか」と。

●エキスパート活動での学習者の理解
 孝弟ならば、上に在る人を犯しませんし、まして乱など決して起こそうとしません。儒教の理想は、ただ上に対して従順なだけか。上が間違っていても従うべきなのか。表面的にはそう読めますが、乱は「悖逆争闘」と解釈されているので、国法・人倫などに逆らい背く、つまり、私利私欲に走って反乱を起こすことを言います。「孝弟は、仁の本だ」とも言っています。
 仁は「思いやり」なので、私利私欲の真逆で、自分の欲望を抑えて、道徳的に行動する人を理想としているのではないか、と考えました。
(本文に戻る)

 


(1) 三宅なほみ・東京大学CoREF・河合塾編著『協調学習とは―対話を通して理解を深めるアクティブラーニング型授業―』北大路書房 2016 p.157
(2) 下見隆雄「劉向『列女傳』より見る儒教社会と母性原理」(『広島大学文学部紀要』50巻。広島大学学術情報リポジトリ(1991)(http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja)、p.7
(3) 溝口雄三『公私』三省堂 1996 p.46

 

———————————————
国語・国文学専門の教育出版社
株式会社京都書房
https://www.kyo-sho.com
———————————————