漢文の読み方について 思いつくまま(2)

漢文の読み方について 思いつくまま(2)

※今回は、前回のコラム「漢文の読み方について 思いつくまま(1)」の続編です(コラムタイトルをクリックいただくと、前回のコラムをご確認いただけます)。ここでは、前回の1・2に続き、3~8番目の項目についてお届けします。

=教科書の読み方 =改めた読み方

3.自古帝王莫不得之於艱難失之於安逸(創業守成『十八史略』)

一見すると、「莫不」が二重否定、その後に、対句になっている「得之於艱難」と「失之於安逸」とが置かれている。教科書の読み方は、その対句の初めの「得之於艱難」(天下を苦難の中で手に入れる)を肯定的に読み、後の「失之於安逸」(天下を安楽に流れて怠けるうちに失う)だけが「莫不」の二重否定につながるというものである。つまり、「昔から帝王は、天下を苦難の中で手に入れることはするが、それを失わないものはいない。」という解釈に基づいているのであろう。「莫不」の「不」が二つの動詞句の初めを飛び越して後の方だけにかかるという解釈はありえない。これも句の切り方の間違いである。上の「」のような読み方ができる。

4.夾岸数百歩中無雑樹(陶潜『桃花源記』)

奇妙なのは「岸を夾むこと」という読み方。下欄にわざわざ「川の両岸に沿って」という訳をつけている教科書もある。「夾」は「両側からはさむ」という意味が一般的であるのに、「夾岸」を「きしさしはさむ」と読んで、「川の両岸に沿って」という意味になるという説明は納得できない。「さしはさム」という読みを当ててしまうと、「一つの岸をはさむその両方の外側」というようなイメージになり、「川の両岸」という意味は伝わってこない。ここでは、「夾」は「両側にある」という意味であり、訓読みせずに「けふがん」という音読みを使って、「川の両岸」という意味の熟語として読むべきである。『漢辞海』には、「夾」の意味として、「両側からはさむさま」「両側にあるさま」という説明がある。

5.不知有漢無論魏晋(陶潜『桃花源記』)

しんろんし」という読み方はどうだろうか。中国語の文語文である漢文と日本語との語順に違いがあるのは当然であり、その違い(用言と目的語・補語との語順)があるからこそ、返り点を付けて訓読している。生徒には、格助詞「ヲ・ニ・ト・ヨリ」があればそこから上に返って読むと教える。どのような語に返るのかと言えば、用言であり、名詞には返らない。そうであるなら、「無論魏晋」を「しんろんし」と読めば、「魏晋」という名詞から「論」という名詞へ返る読み方をしていることになる。原則から外れた返り方であって、しっくりこない。そこで、「論」は「論ず」というサ変動詞で読み、「魏晋を論ずること無し」と読めばすっきりする。

これと似た読み方をしているものとして、次の文がある。

「有意督過之」は「沛公の過失を咎める考えがある」という意味であるが、動詞「督過」から名詞「意」に返る読み方をしている。この句の構造は、「有+A名詞+B動詞句」であり、BはAの連体修飾になっている。英語であれば、関係代名詞が「意」と「督過之」との間に省略されているのである。「有朋自遠方来」(『論語』)と同じ構造で、これは、「朋有り 遠方より来たる」と「朋の遠方より来たる有り」という二通りの読み方が行われているが、「朋」と「自遠方来」との間に関係代名詞の省略があり、「遠方からやって来た友人」という意味でとる。ここでは、この後者の読み方にならって、上の「」のように読む。

次の文も同様である。改めた読み方だけ示しておく。

6.燕人立太子平為君是為昭王(先従隗始『十八史略』)

「是れを昭王と為す」の読み方はどうだろうか。まず、「是れを」の「を」がひっかかる。また、「為」を「なス」と読んだのでは、「これを昭王とする。」としか読めない。ここでは、「為」を断定の助動詞「たリ」と考えて、上の「」のように読みたい。

7.先生視可者得身事之(先従隗始『十八史略』)


気になるのは、「得身事之」における「身」の意味である。「み」と読めば「自分自身」「私」の意味でとっていることになる。ところが「得」との位置関係を考えると、「私はその人に師事することができる」という意味になるためには、「身得事之」という語順でなければならない。しかし、ここでは「得身事之」であるので、「身」を副詞「みづかラ」と読み、「先生視可者」を命令形で読むのもしっくりこないので、これを条件句と考えて、上の「」のような読み方をする。

8.請得数万精兵進往夏口保為将軍破之。(赤壁之戦『十八史略』)


これは、訓読と意味とが合っていない。訓読で「保」を「保して」と読んでしまうと、「きっと~お約束いたしましょう。」という意味ではとれない。ここでは、文を二つに切って、「保」を「請け合う」「保証する」の意でとり、「為将軍破之」を「保」の目的語と考える方が自然である。

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次回のコラムでも引き続き、『西播国語』に掲載された内容をご紹介します。(編集部)

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